ワーキングホリデー

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その国は、"No thank you" から始まった

 会話を英語で成立できるようになって以降、海外への興味はますます強くなった。次の機会にはあそこに行きたい、ここに行きたい、あれを知りたい体験したい……未知の世界への好奇心は尽きない。 
 ただ、どんなに強い好奇心を持っていても興味や関心が向かないモノというのが必ずあった。
私の友人に、“言語”そのものに強い興味があって多言語を勉強しているんだけど「フランス語だけはNo thank you」だという人がいる。
「なんだか興味が沸かないのよね」とは彼女の弁だ。
私の場合、それはインドという国だった。興味ゼロ。っていうか行きたくない。とすら思っていた。だって暑いのダメだし、胃腸弱いし、なんか大変そうだし。。

 だけど人生の半分は皮肉で構成されるらしくて、拒否しているものにこそ縁が生まれる。
いやむしろ拒否していること自体が、私の場合はすでに縁だったのではなかったか。
 そう考え始めたのは、先の友人がフランス人男性と付き合うことになってフランス語を勉強し始め、私がインドの会社に入社することになった時だった。

“外国人付き秘書募集”と書かれた求人に応募した。
ドキドキしながら行ってみると、インドの会社だった。スパイスの香りがするオフィスで面接を受けると、その場でハイ、採用……思わぬ流れに導かれ、私はインドに本社を置くIT企業の東京支社、代表取締役付き秘書として就職することになった。
そしてご丁寧にニューデリー本社にもデスクを置いてくれたのだ。
上司はヒンディー語、英語、日本語が完璧のトライリンガル。怪しいビジネス英語しか話せない私としては、なんだかちょっと肩身が狭い。

インドの多くの人が英語、ヒンディー語、そして出身地によっては地方ごとの言語を話す。
驚くことにインドの公認言語はヒンディーの他に17もあり、方言に至っては22,000にものぼる。
産まれながらにして多言語の環境のためか、高い言語能力が育まれ異例の早さで外国語を習得していく。
私が勤めていた会社でも、入社した頃には片言だった日本語をあっという間に上達させていくインド人の社員をたくさん見た。
私がきちんとした会話をするべくビジネス英語を勉強しはじめたのがこの頃。
なんちゃって英語でその場を切り抜け続けていた私も、さすがにこのハイレベルの言語環境の中では自分が情けなくてお尻に火がついたのだ。

人生の中にインドの“イ”の字も計算に入れていなかった私の日々は、あっという間にインド色に染まった。
ベジタリアンの上司のために近隣のインド料理店を調べ上げ、「一人で食事する習慣はない」と堂々と言ってのける上司のために同席してインド・ランチを食べる。
インドの人は、「一人で外食するのは恥ずかしくてできない」と言って嫌がるのだ。
手で食べる作法も教えてもらい、連日のマサラ・ランチのおかげで私の爪先は常にスパイス色に染まっていた。
インドの人は右手だけでナンをちぎって、日本で言うところの“おかず”をすくって食べる。見惚れるほど器用だ。ナンをスプーンのように窪ませてすくい取るのがコツらしい。“不浄の手”だとされる左手を使うのは「よほど熱いナンをちぎるときぐらい」という。
(だからといって慣れない私たちが左手を使うことになんの異議も唱えない)

ちなみに、インドの食事はカレーばかりではない。
スパイスをふんだんに使った食事が多いことは確かだが、いわゆるカレーではなくて、煮込み料理だったり野菜炒めだったりする。それを見た日本人が見た目と香りで『カレーっぽい』と思いこんでいるにすぎない。

まずは食べ物からインドに触れた私が、いよいよ現地に入ったときのことは忘れられない。
たくさんの大きな瞳に見つめられながら空港からタクシーに乗った。車線に関係なく走り回る車や自転車に仰天し、「この町の交通ルールはどうなってるの!?」と運転手に聞くと、「As you wish!!」と答える。黙って座席にしがみつくしかなかった。
落ち着いて見渡すと、町にはマリーゴールドの花がいたるところに飾られて、まるで夕陽に染まったかのようにオレンジ色が溢れている。
聞くと、冠婚葬祭に使用する花として大切に栽培されているという。
タクシーが止まるたびに、マリーゴールドの花輪を手にした子供たちが窓をバンバンと叩いて買ってくれ買ってくれと大騒ぎする。その喧噪と鮮やかな花の色に目を丸くしていたら、同僚が花輪をひとつ買ってくれた。
その後、食中毒から始まって山奥の寺院への参拝、マハラジャの結婚式、南端の孤島への出張……と私のインドな日々は続いた。
惜しいのは、当時23歳だった私がその訪れた土地や場所の名前をほとんど覚えていないこと。無我夢中であったとはいえ、少しでも日記なり旅行記なりをつけていればなぁと少し後悔している。
だけど今でもマリーゴールドの柔らかな花弁の感触は頬に残っているし、山奥で参拝した寺院の荘厳さは忘れられない。
多くの人々に出会い、助けられた。同僚やその家族含め、みな優しかった。
人々の鷹揚さに助けられ、おおざっぱな面に辟易し、旺盛な好奇心に共感を覚えた。

カルチャーショックもたくさんあったけど、より感じたのは世代間での価値観の違いだった。
親の世代がNGということでも、20代や30代はOKだったりすることもある。若い人たちと話す中で、「うちの親はわからず屋」というような発言も時々聞いた。
女性と男性がはっきりと線引きされていることへの違和感も、だんだん強まっているようだった。伝統や風習を重んじる中でも、新しい感覚は確実に育っている。そんな風に感じた。

最後にインドを訪れてから、もう10年にもなる。着々と姿を変えるあの国は、次に行くときどんな国になっているんだろう。


 インドを訪れた人は、二極に分かれるという。“絶対にまた来る”というインド中毒反応と、“二度と行きたくない”という拒絶反応。
私は絶対に後者だと思っていた。だって暑いのダメだし、胃腸弱いし、なんか大変そうだし……
だけど、気づくと「一度はインドに行ってごらんなさいよ」と知人に勧める自分がいる。好き嫌いの判断は別にして、暑いけど、いろいろ大変だけど……一度は飛び込んでごらんなさい、と。
中毒の芽が、いつのまにか私の中にも芽生えたらしい。

もしもあなたが『人生でこれだけはNo Thank you』と思うものを持っているとしたら覚えておくといいかもしれない。
No thank youは縁の始まり。きっと意外な形で、あなたの人生と結ばれることになる。

そしてそうやって知っていく世界が、何よりも面白かったりするのだ。

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